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2007年04月05日

センバツV常葉菊川野球部長・佐野心さん

3日の選抜高校野球決勝で初優勝した常葉(とこは)学園菊川(きくがわ)(静岡)。森下知幸(ともゆき)監督(46)に続いて選手から胴上げされたのは、野球部長の佐野心(こころ)さん(40)だった。元中日ドラゴンズ外野手という異色の経歴で、プロ・アマ間の「狭き門」を抜け、チームを悲願の日本一へ導いた。
   (国府田英之、荻窪佳)
 佐野さんは浜松商を卒業後、専修大からいすゞ自動車を経て1991(平成3)年、ドラフト6位で中日に入団。落合博満選手(現監督)が中軸を務めていたチームで、俊足を買われて主に代走として出場したが、故障で95年のシーズンを最後に引退した。
 4年のプロ生活で一軍の出場試合は27。残った記録は11打数1安打4盗塁。「指導者として野球とかかわりたい」という高校時代の夢が再び頭をもたげた。
 プロからアマへの道は狭い。日本学生野球憲章第10条ではプロの経験者がアマを指導することを禁じているが、例外もある。正規の教諭として2年間勤務し、日本学生野球協会の審査に合格することが条件だ。母校の専修大に戻り、2年かけて単位を履修。教員資格を取った。
 幼い子供も抱えた一家の大黒柱にとって、学生生活は楽ではなかった。「スポーツジムのインストラクターや歳末大売り出しの電器店のアルバイト。生活費と学費を稼ぐため走り回る貧乏生活でした」と妻の美千代さん(32)。
 資格を取っても教員への道は険しく、非常勤講師として先の見えない日が続いた。そんな中、浜松商時代の恩師で、常葉菊川に移っていた磯部修三前監督のもとを訪ね、相談した。元プロの経歴を危ぶむ思いもあったという磯部前監督だが、「全力を尽くします」と頭を下げる熱意を買って学校に進言。2000年4月、教員として採用された。
 2年後、日本学生野球協会から1984(昭和59)年以降、11人目のアマチュア資格が認められた。長いブランクを経て再びユニホームに袖を通した日は、早朝からグラウンドに出かけた。1日中、涙が止まらなかった。
 選手たちの指導に、プロ仕込みのキャリアが生きた。一流の投手に共通するのは基本に忠実で無駄のないフォーム。エースの左腕、田中健二朗投手には、元中日の左腕、今中慎二氏の投げ方を写真やビデオで研究させた。「田中は高校生としては100%理想的な形までもっていけた」と自賛する。
 作戦面でも何度もチームを救った。優勝候補、大阪桐蔭との準々決勝(3月31日)。プロ注目のスラッガー、中田翔選手への対策として、田中投手に徹底した内角攻めを指示。ストライクゾーンを12分割し、投げるべきコースを徹底して細かく教え込んだ。中田選手を3打数無安打に封じた。
 野球の世界に復帰してから6年目の春での快挙。「選手として甲子園に出て、そして指導者としてもまた、ここにいる。怖いくらい恵まれた野球人生です」。佐野さんは、晴れやかな笑顔を見せた。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/other/46193/
(イザ)
posted by 高校野球 at 13:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 静 岡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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